9月, 2007

9月27日

2007年 9月 27日(木曜日): inoppi
0927 アンケートのお願いです。
ポストへ投函、FAX、またWebでも受け付けております。
あなたのお仕事教えてください

お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

あなたのお仕事に関するアンケート

2007年 9月 25日(火曜日): inoppi

アンケートのお願いです。

青山プレップスクールでは、塾生に広く社会を知ってもらうため、そして自分たちの将来について考える機会を設けるために、現在働いていらっしゃる方々のお話をうかがうことができたらと考えております。

当アンケートは、集計の後、塾生に公開(一部Webを含む)いたします。
お名前やメールアドレスなどの個人情報は、厳重に管理し、一切公開いたしません。
その他の目的で、当アンケートを利用することはございません。

但し、塾生からの希望で、より詳細なお話をお聞きしたい、と言う場合に、こちらから連絡させていただく場合がございますことをご了承ください。

何卒、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

『あなたのお仕事、教えてください』

現代が受けている挑戦

2007年 9月 25日(火曜日): inoppi

著者: A.J.トインビー

ごくごく掻い摘んで書くと、

1.核問題、食糧問題は、地球規模で考える必要があり、そのための政治が必要である(該当問題に限る小さな政府)が、果たして可能であろうか?

2.問題は技術的なレベルではなく、人類の心理的な問題である。

3.人類の歴史(100万年~1万年)を振り返ったとき、人類は離散と統合を繰り返している。

4.特に産業革命を経て、西欧が一時的な優位を確保した時期に、西欧の技術とともに、個人主義も拡散した。

5.しかし、個人主義では、核を抱える人類の未来は開けない。

6.心の問題をどう扱うか、他者に対する寛容をどこまで持てるか、が今後の人類の課題である。

1966年という冷戦構造のさなかに書かれたものである。

2001年9月11日のニューヨークテロの際に、立花隆が「今読むべきは、『文明の衝突』よりも、『現代が受けている挑戦』である」と著したことで、再び脚光を浴びることに。(というか、私が読むきっかけとなった)

現代においては、核の問題、食糧の問題の他に、環境問題が脚光を浴びている。その他、狂牛病(BSE)問題、エイズ問題など、国ごとにばらばらの対応をしていては間に合わない問題が、多々ある。

私自身、オリンピックと言うものにも、昔から少々疑問があった。なぜ国なんていう単位で、争わなければならないのか?紅白歌合戦も同様である。なぜ、男女で勝ち負けを競うのか?なぜ、もっと合理的に考えられないのだろう?

その後私も多少の経験をつんで、紅白歌合戦は同でもいいですが、境遇を異にする者同士が、本当にわかりあうことは、互いの歴史を理解し、将来に対する合理的な計算を行う、という相当高度なコミュニケーションが必要であることを学んだ。

また、おそらく人間に限らず、生命の本能として、種の存続よりも、個体の存続を優先させることも。

果たして人類は、破滅と協調と、どちらを選択するのだろうか。

私は、歴史に対する理解、未来のための合理的計算、国際的コミュニケーションの実現を信じています。

たばこと塩の博物館

2007年 9月 21日(金曜日): ayacocco

平日の昼間も人がいっぱいの渋谷、パルコ前の公園通り沿いにあります。TOUBUホテルの前です。
明治中期のたばこ工場にあった門の石。図案化されたたばこの葉が彫られています。風格があります。
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入ると、すぐにたばこの葉を刻む機械があります。JTの専門の職人さんが実演していました。
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その前のベンチにて。おじいさんが、キセルの吸い方を教えてくれていました。
係員のおじさんが教えてくれましたが、一般的な紙タバコより断然強いのだそうです。
「こうやって昔は大事に道具を使っていたんだ、、」
「ちょっと吸っては(吸殻をぽんぽんっと)吸殻入れへ入れる。この贅沢な感じがまたいいんだ。。」と話していました。
私はスモーカーではないので、、試さなかったけれど。
なんとも味のある、たばこの煙がくゆっていました。
※未成年の方はもちろん吸ってはいけません。
※また、たばこは、体に悪影響を及ぼす危険性があるので、吸いすぎには注意しましょう!
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こちらは、キセルのそうじや修理をする露天商、羅宇屋の車の現物。なんと2000年まで最後の羅宇屋さんが浅草で営業していたそうです。
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たばこの歴史を説明した展示。映画、『三丁目の夕日』に資料提供をしていた関係で、昭和30年代のたばこ屋のある風景の再現や、広告、当時流行った商品、時代背景を紹介する展示も数多くありました。この頃は日本のたばこ産業においてもひとつの岐路だったそうです。
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塩の展示。世界の岩塩の展示や塩の結晶を顕微鏡で見られる設備がありました。
昔の塩の作り方を説明する模型やビデオが面白かった。
大昔は塩水のついた海草を燃やして灰にしたものを使っていたりしたそうです。苦いでしょ、それじゃ。その後、海水のついた砂を乾燥させて集めたものを樽に入れて海水を流したときに流れてくる塩分の高い水、かんすいをとり、それを煮出して作るようになり、それでは砂を乾燥させる広い土地を要するので、今ではイオンなどの技術を使って広い土地を使わなくても塩の生産ができるようになっています。
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近くにあった中華料理屋でお昼
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俳人のための やまとことばの散歩道

2007年 9月 21日(金曜日): inoppi

著者: 林 義雄

9月20日 ケータリングアーティスト江崎さんによるランチ!

2007年 9月 21日(金曜日): ayacocco

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あの、10月20日のイベントにて、おいしい食事と楽しいお話を提供してくださる、江崎さんがいらっしゃいました!

しかも!!わたしたちランチ難民の為に、おいしいお昼を作ってきてくださいました!!おいしかったぁ。。思い出してもよだれが。。

華奢な見た目からは想像もできないくらいエネルギーがいっぱいで、
食に限らず、ざっくばらんに熱い想いを語ってくださいました。
ありがとうございました!!

いつもとっても楽しそうです。

10月20日もとっても楽しみです♪

9月21日

2007年 9月 21日(金曜日): inoppi

おそらく、以下のような答えでしょう。

最初に、CさんとDさんが渡る(10分)。

次に、Cさんが橋の半ばまで懐中電灯を持っていく

同時に、Aさんが橋の半ばまで取りに行く。会ったところで手渡し。

その後、それぞれ元来た岸に戻っていく。(100秒=1分40秒)

最後に、AさんとBさんが渡る。(2分)

あわてずに、余裕を持って渡れるのでしょうか。

9月21日

2007年 9月 21日(金曜日): inoppi
0921 またまた横着しました!
いえ、ご好評につき、Google社の入社試験問題、第3弾!

ちょっと見えづらいと思うので。

人が2人しか同時に渡れない、つり橋があります。
真っ暗闇の中、4人の人が渡ろうとしています。
が、懐中電灯の残り時間は17分。
どうしても、4人全員渡らなければなりません。

歩く速度や勇気の違いにより、渡るのにかかる時間がそれぞれ異なります。
A:1分
B:2分
C:5分
D:10分

懐中電灯が1本しかないので、それを使いまわしながら、渡りきらなければなりません。

17分で、全員渡れりきれるでしょうか?

2007年 9月 20日(木曜日): inoppi

唐突ですが、死について、考えてみました。

果たして、私は死ぬのだろうか?

人が死ぬことは、知っている。

私も何人か、そうなった人を知っているし、その人と直接会うことや話すことは、もうできない。

人は、必ず死ぬもので、私もいつかそうなるのだろう。

それはいい。

それはいいんだけど、主観的に見た場合の死とは、一体なんであろうか?

あまり魂とか、そういうことを考えない場合、

死んだら、自分というものは、永遠になくなる。無になる。

たとえば、ある瞬間から、「死」という状態になるとすると、今まで存在したものが、その瞬間に無になる。

無になった時に、私はどうなるのだろう?

無になるんでしょう。

無であるということは、自覚はないだろう。

逆に自覚のあるうちは、おそらく死んでない。

つまり、生きてる自分しか、自覚することができない。

それって、自分は死なない、って言えないだろうか?

もう一つ、時間というものも、考えてみよう。

時間って何でしょう?

時計がカチカチ動いてる、それが時間でしょうか?

楽しいことをしている時は、時間があっという間に過ぎる。

逆に嫌なことをしている時は、いつまで経っても時間が過ぎない。

誰にでもある経験ですよね。

つまり、客観的な時間と、主観的な時間は、一致しない(場合がある)。

死の瞬間、主観的な時間はどうなってるんでしょう?

よく、大きな事故にあったときなど、「スローモーションですべてが見えた」という話を聞きませんか?

もし、生命に重要なことが起こる時、感覚が研ぎ澄まされて、時間として長く感じる、ということがあるとすれば、

死こそ、生命にとって、最重大事ですよね。

死の瞬間に、もし感覚が研ぎ澄まされ、時間として長く続くとすれば、それは死ぬまで続くわけだから、

主観的には、「永遠に」その時間が続く、と言えないだろうか?

客観的に見て、一瞬の出来事でも、その時間を細かく、細かく、細かく、分割して、その間にいろいろなことを考えたりできるなら、死の瞬間は、永遠に続く、と言えないだろうか?

ゼノンの言う「飛んでいる矢は止まっている」みたいな話ですが。

(ゼノンの逆理(パラドックス))

その時、何を考えるんでしょうね。。。

自分は死なない、というのは、恐ろしいような、気楽なような。。。

9月20日

2007年 9月 20日(木曜日): inoppi

2回でしょうか?

最初に、適当に3個ずつ、秤に乗せる。

A: もし、どちらかが重かったら。。。

重かった方の3個のうち、1個ずつを秤に乗せる。

どちらかが重かったら、それ。

同じだったら、残った1個が、それ。

B: どちらも同じだったら。。。

残った3個のうち、1個ずつ秤に乗せる。

以下、同様。

たぶん、あってますよね。

どうでしょう?